

大阪の母に育てられた私は、なにかと他の子と違う事がありました。
うまく説明できないのですが、テンションなのかなんなのか、根本的に周りの子たちとは違うというのを肌で感じていました。
幼い頃はそれがとても嫌で、物静かに過ごしたりしました。
しかし、ある日気がついてしまったのです。
自分が何が周りの子と違うのか。
それは保育園の年中さん、お遊戯会でする「かさじぞう」の劇の役を決めていた時。
ほとんどの子は地蔵役なのですが、「雪ん子」という役があり、それに女の子が2〜3人選ばれるとのこと。
雪ん子役は、いわゆる「きれいどころ」。
女の子皆がやりたい役でした。
そして先生が「エイコちゃん達、3人でやってみる?」
と、当時仲が良かったお友達3人でやってみないかとのオファー!
正直めっちゃやりたい。
でもね、そこで気づいちゃうんですよ。
自分の中に眠る大阪の血が
「ここはウケ狙っとけよ!!!!!」って叫ぶんです…!
こんなまたとないチャンス、もうこの人生回ってこないかもしれない。
ですが言ってしまうんです。
「せんせい!私!おばあちゃん役やりたいです!!」
なんということでしょう。
そうです、私は綺麗どころを演じるチャンスよりも、おばあちゃん役という妙な役に魅力を感じてしまったのです。
このマインドは30になった今も存命で、「かわいいより面白いっていわれたい」というこの精神が、私の人生をぶった切ってきました。
もちろん、この後20ウン年生きておりますが、綺麗どころが回ってきたことはありません。
これが私に染み付いた大阪のおかん遺伝子だったのです。
続く